プロフィール

重冨たつやってどんな人?
なぜ政治活動をしているのか?

重冨たつやってどんな人?

市民がつくる市政を川崎で実現します!!

重冨 達也

1988年(昭和63年)
11月18日生まれ
等々力保育園 入園
宮内小学校 入学
高輪中・高等学校 入学
首都大学東京 航空宇宙工学専攻 入学
大手学習塾入社


等々力保育園 入園

等々力保育園 入園
坂の上にある保育園。
昔はものすごい大きな坂に見えていましたが、今はとても小さな坂に見えます。
あの坂を見ると改めて街に育てられたことを実感します。帰りにいつもお菓子をもらって
ご機嫌で帰宅していました。

現在、川崎市には9万人以上の0歳~6歳の子どもたちが住んでいます。1人も例外なく、1人1人が無限の可能性を秘めた社会の宝です。
子どもたちのために私たちができることは何でしょうか。


宮内小学校 入学

宮内小学校 入学
運動神経は良くない方でしたが、運動会は応援団として楽しんでいました。
また、高学年になると学級委員や運営委員に参加させていただきました。
リーダーシップや責任感を鍛える機会を頂いていたことに感謝しています。

間違っていることは間違っているとしっかり教えてくれる先生方や両親がいる環境で育てて頂いたことにも、感謝の気持ちでいっぱいです。


高輪中・高等学校 入学

高輪中・高等学校 入学
実家の前は等々力公園でした。
春は、桜がきれいで何度も花見をしました。

習字で書いた言葉
「人生一度」

このころは深く考えていなかったと思うのですが、昔からやりたいことは必ずやり通すという信念を持っていたのかもしれません。
数十年かけて形作られた市民と市政の距離感を変えることは容易ではありませんが、人生一度ですから自分にできることをやりたいと思います。


首都大学東京 航空宇宙工学専攻 入学


飛行機がなぜ飛ぶのかを知りたくて入学しました。
設計やコックピット製作に携わり、パイロットとして鳥人間コンテストに出場しました。
記録は残りませんでしたが、チーム念願の旋回に成功したことは人生最大の喜びでした。

データとの向き合い方や仕組みに不具合が生じたときの打ち手の考え方などはこの時期に学んだことが多いように思います。感情論になりがちの政策検討に対して根拠となる数字を求める姿勢は理系ならではの視点かもしれません。


幼児~大学において

私は保育園のころに海外との交流を40年間続ける教育機関に入会しました。
大学卒業までの18年間在籍し、コミュニケーション力・表現力・リーダーシップ・国際的なものの見方・他者への配慮、などさまざまなことを学びました。

幼児から大学生が一緒に活動する空間では、幼いころから年長者から多くのことを吸収することができました。
中学2年生の夏には、国際交流プログラムとして1ヵ月間アメリカのオハイオ州にホームステイしました。

川崎を良い街にする、神奈川県を良い街にする、このことが世界の人々の幸せに少しでもつながるようにしたいと思っています。
そのためには誰かが音頭をとらなければなりません。

自分を大切にする気持ち、家族を大切にする気持ち、その気持ちの一部を少しだけ外の世界に向ける。
そのお手伝いをする活動、それが私の政治活動だと思っています。

政治活動を始めた3つのワケ

ⅰ 学生時代に感じたこと

幼少時代より川崎の街に育てられました。世界的に見れば、1人の人間が大人になるのはそんなに簡単なことではないはずですが、川崎の街は私をここまで育ててくれました。
子どもから大人になるにつれて、育ててくれた両親や学校の先生方、そして街への感謝の気持ちが芽生えました。
一方で、政治に目を向けると大人が政治に不満や不安な気持ちを抱えていることを子供心に感じていました。

「なぜ人々を幸せにするための政治が行われないのか。
いつか自分が政治に関わって、暮らしている人のもとで行われる政治を目指したい」

と思いました。
これが、私の政治活動の原点です。


ⅱ 大人になって感じたこと

鳥人間コンテスト
学生時代は航空宇宙工学という学問を専攻し「世界一の整備士」になる!!と考えていました。

実際に飛行機の設計も行い、鳥人間コンテストという大会に設計者兼パイロットとして出場しました。
そんな時に本田宗一郎氏や松下幸之助氏に関する本を多く読んだことが私の人生を変えました。

そこにはモノづくりが好きだという気持ちだけではなく、そのモノを通していかに社会・街の人に貢献するのかという信念がありました。

その信念に強く共感し、自分は何によって貢献できるのか、その貢献を最大化できる職業は何かを考えるようになりました。そこで政治家になろうと決意しました。


ⅲ 社会人になって感じたこと

私は学習塾で小学生と中学生を指導していました。

大卒で政治活動を始めることもできましたが、1企業に入社する道を選びました。
納税者として生活したことがない人間が政治家としてリーダーシップを発揮できないと考えたからです。

私塾の者として教育のサポートをしている一方で、公教育だけでもっと多くの子どもの可能性を引き出してあげられないものかと感じました。

公教育の教育環境を改善することは未来を担う子どもたちのためであり、50年、100年後も街や国が繁栄するための礎となります。
教職員の方々が今より生徒と向き合えるような制度を構築しなければなりません。

子どもたちに最良の教育を受けてもらうために、私の私塾での経験も生かすことができると考えています。


異なる時期に感じた3つの想いは今も変わらず、友人・知人が家庭をもつようになりさらに強まっています。
みなさんも日々の生活に追われながらも、自分自身のために、大切な誰かのために、政治に声を届けなければならないと感じているのではないでしょうか。
みなさんといっしょに考え、市民がつくる市政を川崎で実現させます。いっしょに政治に声を届けましょう。